2016/01/25

ドーナツ哲学

近頃はよくドーナツについて考えています。

ドーナツの穴とは、抜きとられたものです。空間です。指を入れて遊ぶこともできるし、リボンを通して首飾りにすることもできます。つまりは隙間で、存在しないものです。しかし、ドーナツをドーナツたらしめているものもまたドーナツの穴です。一部の例外を除き、穴がなければ、誰もが思い描くドーナツの定義を満たすことは困難になります。

穴はドーナツと一緒に常に存在して、ドーナツが食べられてしまうのと一緒に消えてなくなります。ドーナツが存在する限り、穴はくっきりと存在し続けます。穴を空けると云うのは、そこに永遠を作ることなのかもしれません。ドーナツの穴を腐らせることも、ぎゅうっと握り潰すことも風化させることもできない。穴が空いて永遠を得て、ドーナツと一緒に食べられる。ドーナツの穴は何方にも冒せない領域のように思います。

ちらりと調べたところ、ドーナツについて哲学されている方は世の中に沢山おいでのようです。ドーナツの穴を食べる方法を論ずる方もいらっしゃるようですが、何だか難しそうなお話でしたのでここでは割愛致しまして。

そんなわたしのドーナツ哲学。
posted by 浮森かや子 at 01:10 | Comment (0)  | 日記