2017/05/28

どちらが幸せ

子どもの頃のわたしはとてもとろくて、家族も同級生たちも、そんなわたしを相手にしていつも苛々していました。恥ずかしくて、きつく叱責されるのが悲しくて、つらいなあと思いましたが、ふと、この人たちはいつも苛々していて呼吸も浅くつらそうだと気付きました。もし、世の中の人間をとろい人間とてきぱきした人間に分けるとして、とろい人間を目にして毎日苛々しなければいけない苦行と、てきぱきした人間に毎日叱責される苦行とを比べるなら、どちらが幸せな人生だろうと考えるようになりました。

了見の狭い子どもならではの発想で、世の中の人間をカテゴライズするにしても「とろい」「てきぱき」の二種類は無いだろうとか、どちらかの苦行を選ばなくとも少しだけ距離を置いてみれば良いんだよとか、大人になれば何だかんだ上手く取り繕えるようになりますよとか、指摘の入れどころは満載ですが、この二者択一の癖は、わたしの人生で時々目を開いては「どちらが良い?」とたずねます。

次に気付いた大きな二者択一は、愛し愛される人が居て御別れを恐れる人生と、何方も愛さず愛されず誰との御別れも恐くない人生です。と云うのも、わたしは災害や戦争が酷く恐ろしかったのです。もしも何か起きた時に、大切な人に何かあればと思うと恐くて、子どものくせに眠れないほどでした。そしてどんなに平穏無事な人生を辿ろうと、人間の死亡率は100%です。喧嘩別れも生き別れも大怪我もしなくても、さいごの御別れだけは回避できないのです。でも、生きている間に限れば、愛する人が居る方が遥かに幸せな気がします。これから何十年続くか知れない人生と、御別れの恐怖と、上手く天秤に乗りません。これは難しい問題でした。

どちらの二者択一も良い答えは出せていないのです。こっちが幸せ!と決めても、ふとした時に矢張りこっち!と考えを改めるかもしれません。でも人間は知らず知らず選択を繰り返して生きているもので、多分今のわたしも、何らか選んだ結果なのだろうなあ。
posted by 浮森かや子 at 02:47 | 日常